English | 日本語

ウオーターがハザードとならないゴルフコース

2007年10月15日Qargha(The New York Times)

カブールの西の郊外で谷を見おろしながら、Mohammad Afzal Abdulは他の人すべてに明らかな太陽に焼かれた藪と岩の一帯を見ていない。

彼が見るのは、緑に覆われたフェアウエイとささやくグリーン、ひと癖ありげなサンドトラップとまぶしい青い池などの豊かな風景と、そしてヒンドゥクシ山脈の岩だらけの頂上にまで届く歓声を上げるファンのギャラリーである。

Abdul氏、48歳、は何年もの間、ちょうどアフガニスタンが持続する政治的、経済的安定に向かうわずかな進み具合と同じペースですこしずつ彼の夢の光景を現実に近付けてきた。そして今、この不毛の地が少なくともその名前と精神においてはゴルフコースになっている。

それはアフガニスタンで唯一のゴルフ場、カブールゴルフクラブであり、Abdul氏はそこの理事長でありゴルフプロである。彼は10歳の時に初めてパターを手にした。

この9ホールのコースは、いかなる基準からみても、風変わりなコースである。芝はなく、フェアウエイとラフの境目もなく、グリーンは砂とオイルを混ぜて重いローラーで固め、野球の7回にベース間を引きずって整地する箒に若干似た箒で掃いたものである。このコースのルールではグリーンではなくブラウンと呼んでいる。

2004年にオープンしたときは、このコースは当時の日の出の勢いの楽観主義を反映した魅力的な風変わりなものであり、より明るいアフガニスタンの未来を指し示すものに思われた。復興がフルスイングで進められ、開発資金や支援ワーカー、外交官がアフガニスタンに流れ込んできた。多くの外国人が毎週プレーしにやって来た。夢に見たエメラルドのコースが実現間近とみたAbdul氏は、近代的灌漑設備を期待して、コースに網の目のように溝を掘った。

しかし3年たって、それらの溝はパイプもなくからっぽで、プレーする人の数もいい週で約12人に落ち込み、コースはあいかわらず荒れ果てている。

経済は依然挫折、犯罪は増加、いたるところの貧困、そしてタリバン兵士の反乱と、いまやこのコースはまったく場違いにみえる。

最近のある金曜日、イスラムの祈りの日であるが、Abdul氏は小さなコンクリートのプロショップで使い古しのソファに座って、いつものように群れをなすプレーヤーの復活を待っていた。「少しばかり悲しい。」と、歯が折れて、深い溝のできた皮のような皮膚をしたAbdul氏は告白した。昔風のウッドのヘッドのものもある、古いレンタル用のクラブセット数組が壁に立てかけられていた。

しかし、このコースの閉鎖を考えるかと聞かれ、彼は体をこわばらせた。「閉鎖はしません。」と鋭く答えた。「忍耐強く待ちます。」そしてこう付け加えた。「人々はゴルフを必要とするのです。」

ほとんど毎日そうするように、彼は午前7時前に到着してコースを開け旗竿を出した。それは鉄筋と赤い布のぼろきれで作った手作りのものである。

その日の午前中早い時間に、彼は地元の少年たちのグループにレッスンを行った。彼らは順番にアイアンで丘の上に打った。ボールが7個になったので、彼は少年たちのうち2人を丘の上に立たせてボールを拾い下に投げ下ろさせた。

2004年のカブールゴルフクラブのオープンは、手続き的には再開であった。Abdul氏が子供のころに、同じ場所に6ホールのコースがあった。それは刈り込まれた芝と大使たちや王族の子弟を含む会員を持った本物のコースに見えたと彼は語った。キャディとして働くかたわらプレーしたと彼は語った。

そのコースは1978年に閉鎖され、その後の25年間、戦争の変転のためにAbdul氏はゴルフから離れていた。彼は外交官との付き合いのために、2度スパイ容疑で投獄された。最初はソビエトによって、2回目はタリバンによってである。そして彼は家族とともにパキスタンに逃げ、そこでタクシーの運転をした。

2003年に、米国の爆撃機がタリバンを権力から追い落とした後、彼は愛するコースに戻った。放棄された戦車や重火器が谷中に散らばり、谷は砲弾でできた穴であばた状になり、木も草もなくなっていた。クラブハウスは砲弾の破片と銃弾によって穴だらけになっていた。

施設の所有者は元の軍閥首領だったが、土地をきれいに片づける費用の支払いに同意し、ある国連職員で熱狂的なゴルフファンがクラブとボールを寄付し、コースルールの作成を手伝った。(助言第1番:コースを攻めよ。アグレッシブにプレーせよ。楽勝はない。心構えをもったゴルフである。)

「私にはお金がないので、人々が来て手伝ってくれること、よい芝を作ってくれることを望んでいます。」とAbdul氏は語った。

おおよそ午前8時ごろ、装甲したランドクルーザーが埃を舞い上げながら視界に入ってきた。そして6人の外国人が飛び降りた。全員、国際開発庁の作業員たちだった。Abdul氏の生徒たちはキャディとなり、プレーヤー一人に二人がついた。一人はクラブと岩だらけのフェアウエイから打つための人工芝の小切れを持ち、もう一人はコースの先に立ってボールを見るのである。

「この仕事をしていると、世界の変わった場所に出くわすものだ。」とニューメキシコ州のサンタフェから来ている国際開発庁のアメリカの下請け業者Jim Hellerman氏66歳は、車輪の跡ができた1番ホールのフェアウエイを歩きながら言った。「どこにいても楽しまなければ。」

いっぽうプロショップでは、Abdul氏が記者に対し数ホールプレーしようと挑戦していた。

Abdul氏のスイングは若干堅いとしても、基本的にはしっかりしており、371ヤードパー4の1番ホールでは、フェアウエイ真中に200ヤードのドライバーショットを放った。彼は3打でグリーンに乗せ、ワンパットでパーをキープした。

「たぶん治安が改善すれば、アフガニスタンはよくなり、ゴルフもよくなるでしょう。」と2番ホールのティーに向かいながら彼は語った。

彼の2回目のドライバーショットは高くそして長距離を飛んだが、意図せぬドローのためにずっと左にそれた。しかし彼はもう歩きだし、フェアウエイをきびきびとおおまたで進み、この日初めての笑みを浮かべていた。

「私はゴルフをする人たちが好きです。」と彼は幸せそうに語った。「私はゴルフが好きです。」そして少なくともその瞬間、彼が足の下に豪華な芝を感じ群衆のざわめきを聞いているかのように見えた。