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2007年10月29日オタワ(Ottawa Citizen) Humaira Habibは1年間、タリバン支配下のアフガニスタンで生活した。法律により、彼女は顔を見せることも学校に行くこともできなかった。いつでも、ネイルポリッシュを着けていたり、町中で靴の音が高すぎたりという些細な罪で、ワイアーによる鞭打ちを受ける可能性があった。 タリバン崩壊後ただちに、Habibさんはヘラート大学に入学し、

2007年10月27日カブール(The Independent)

今週、17万人以上のアフガニスタン人がこの国の初めてのポップフェスティバルにつめかけた。ほぼ6年前のタリバン崩壊後最大の娯楽の集まりであり、アフガニスタン版グラストンベリーと名付けられそうな演奏であった。自爆攻撃や軒並みの戦闘という悲惨さとはかけ離れたものであり、グラストンベリーと同じく農業的なテーマを持っていた。

史上初のグラストロッカー達が無料のミルクをふるまわれたのに対し、カブールでのフェスティバルの宴会参加者たちは近代的農業技術を無料で紹介され、全国から来た農産物業者と会う機会を与えられた。この3日間のイベントは取り戻された地雷原で行われ、表面上は農業フェアーであり、アフガニスタンの主要なドナーである米国政府機関USAidが少なくとも150万ドルの資金を提供して行われた。

しかし、多くの人々が商売をしていたが、ほとんどの男性、女性、子供は楽しむためにこの記録的なイベントに参加していた。

「ポップ音楽が好きなので、このフェアーに来ました。」とカブールから来た17歳の学生Said Ahmad Rahikは語った。「父は私がいつも勉強するのを望んでいるので、来てはいけないと言いました。でも、カブールのどこにもこのような音楽を見られるところはないので、許可なしで来ました。」見出しの出しものには、この国の始まったばかりのポップアイドルショーAfghan Starの優勝者や、サーカスの芸人、舞台コメディアン、伝統的アフガニスタンフォークシンガーなどが含まれていた。

いっぽう、カブールから来た27歳の写真家Marianne Walimiは「アフガニスタンは常に戦時下でした。気分転換にこういうものがあるのは、いいことです。本当に楽しいです。」と語った。

フェスティバルは農場で行われた。カブールの北の郊外にあるBadam Baghは、完全に音楽用に転用されたわけではない。元々政府所有であったこの57ヘクタールの農場は30年間の戦争によって荒廃した。地雷が埋められ、戦闘の場となり、やがてカブールのドッグファイター達の所有するところとなった。昨年政府はこの土地を取り戻し、1百万ドルをかけて50個以上の未処理の爆発物を取り除いた。

「1個1個の地雷を処理するのに各々1週間かかりました。」と、現場責任者であるMohammad Haroon Zareef氏は語った。「50個以上の小型爆弾、ロケット弾、地雷がありました。我々は岩を取り除き、貯水池を作り、地面を平らにしなければなりませんでした。そして今、アフガニスタンで最大のパーティです。農民が来て新しい作物や新しい技術について学んでいますが、楽しい時間も過ごせるのです。」

何万人もの人が歌い踊り、イベントは全国に放送されていたが、主催者にとっては治安が主要な心配事であった。しかし、何百人もの兵士、秘密警察、民間の警備会社はチケットなしでもぐりこんでくる連中を見張っていたわけではない。このイベント全体が無料だった。そして、反乱軍からの脅威は、カブール市内でさえも、現実のものであるのに、フェスティバルは昨晩なにごともなく終了した。

主催者はフェスティバルが平和に終わった秘訣は、300人以上の警官に昼食を提供したことにあると主張した。