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アフガニスタンの女性がジャーナリズムの世界で声を上げる

2007年10月29日オタワ(Ottawa Citizen)

Humaira Habibは1年間、タリバン支配下のアフガニスタンで生活した。法律により、彼女は顔を見せることも学校に行くこともできなかった。いつでも、ネイルポリッシュを着けていたり、町中で靴の音が高すぎたりという些細な罪で、ワイアーによる鞭打ちを受ける可能性があった。

タリバン崩壊後ただちに、Habibさんはヘラート大学に入学し、2004年に初のジャーナリズム専攻クラス卒業生の一人となった。

「ジャーナリストとして仕事を始めた当初は、新しかったため大変でした。アフガニスタンの国中で女性のジャーナリズムは新しいことだったのです。」と25歳の彼女は語った。彼女は今モントリオールのMcGill大学で8ヶ月間の奨学生生活を送っている。

「それは人々にとって奇妙な、何か普通ではないことでした。しかし今では、すべての女性が一生懸命に働き、がんばって人々にそして男性にこれが我々の生活であり我々はこれをやらなければならないと伝えているので、よくなってきています。」

今日アフガニスタンでは、タリバン政権崩壊後6年以上がたち、何年も沈黙を強いられた1,000人近い女性の声が聞かれ、そして意図に反して隠されていた顔が人々の家庭に放送されている。

「彼女たちは飛ぶことを禁じられて鳥かごに入れられ、歌うことを禁じられていた小鳥のようです。」とKhorshied Samadが月曜日に語った。「タリバンが権力の座から追われたとき、彼女たちは自由になり、歌ったり舞い上がったりできるようになったのです。」

Samad夫人はサンフランシスコのBay Areaで生まれ育ち、2002年に彼女の父親の母国であるアフガニスタンにABC Newsから派遣された。結局そこに3年間滞在して仕事をし、一時期はFox Newsのカブール支局長だった。

Samad夫人は夫のOmar Samad氏が3年前にカナダ駐在のアフガニスタン大使に任命されてから、カナダに住んでいる。それ以来、彼女はアフガニスタン女性の熱烈な支持者であり、最近「高まる声:アフガニスタンの女性がニュースを作成」というタイトルの写真展を企画した。

火曜日にナショナルプレスクラブで、彼女はアフガニスタンのメディアと政治の発展におけるアフガニスタン女性の役割に触れる、同じ題名のスピーチを行う予定である。

「しばしば、今日のアフガニスタン女性は、議会、省庁、そしてメディアにおいて、不愉快なトピックを取り上げ、まわりの男性に挑戦する者たちである。」と彼女は語った。

しかし、アフガニスタンの男性の大多数はタリバン後の社会における女性の役割に賛成しているとSamad夫人は語るが、「中世の」態度を持ち続ける極めて危険な人たちもいる。

今年の初め、6日間の間に2人の女性ジャーナリストが殺害された。地元テレビ局のニュースアナウンサーだったShakiba Sanga Amajは家族による名誉殺人で5月31日に殺害された。6月5日には、35歳のラジオプレゼンターZakia Zakiが幼い子供と寝ているところを射殺された。

「彼女は様々な問題に光を当てていた強い女性の声であり、アフガニスタン女性の強さの代表であったために殺された。」とSamad夫人は語った。

Reporters Without Bordersの国際副会長であるFrancois Bugingo氏は、この2件の暗殺をアフガニスタンの女性ジャーナリストが直面している極限の問題の例として指摘した。

「彼女たちは自分に対する多くの脅迫を受け、あるいは家族を通じた間接的な圧力を受けている。」と彼は語った。

タリバン崩壊後、アフガニスタンには350の報道機関が作られたと彼は語った。今日、反乱の増加と宗教的な圧力の増加によって、推定で75の機関しか残っていない。Reporters Without Boardersは2007年度の世界報道の自由インデックスにおいてアフガニスタンを169か国中142位にランクしている。

Samad夫人は、アフガニスタン国内のすべてがバラ色というわけではなく、アフガニスタンが直面している問題についても率直に認めると語った。しかし、アフガニスタンに問題が残されていることは認めるが、これまでに達成された驚くべき進展についても話したい、なぜなら彼女が話したカナダ人の多くはそれらを知らないから、と夫人は語った。

「アフガニスタンに住んで働いたことのある人間は、カナダ人が是非聞きたいと思っている知識を卓上に提供できる。」