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特集:古い宮殿の再建が必要

2007年7月20日(カブールPajhwok Afghan News)

かつてこの首都の壮麗な建築に数えられていた3か所の著名な戦前の宮殿と建物が、現在荒れ果てた状態で地元民と外国からの訪問者に無残な姿をさらしている。

かつて壮麗だった建物の、崩れて銃弾の穴だらけになった壁が、30年間の戦争と内戦を物語っている。それは終わることのない反乱を未来のアフガニスタン人世代に押し付けている。

国際社会が復興のために巨額の資金を約束しているにもかかわらず、時の経過とともに腐食していくこれらの建物の修復に関心を示す政府機関はどこもない。

これらの建物の修復と再建に関する限り、住民は政府の役人が空想にふけっていると非難するが、役人は予算不足が主たる障害になっていると不平を訴える。

Darul Aman Palace、又は平和の場所、はヨーロッパスタイルで建築されたもので、これらの古い建築物の一つである。市の中心部から約8キロメートルに位置するこの歴史的建造物は現政府の注目を必要としている。

アフガニスタン科学アカデミーの会員Abdul Sabir Junbishによれば、Darul Aman Palaceは1920年代に、革新主義者の国王Amanullah Khanの近代化運動の一環として建築された。

それはアフガニスタンの首都の西の部分にある、平らで埃っぽい谷を望む丘の上に建つ堂々とした建物である。

この建物の内部は1969年に焼け落ちた。1970年代と1980年代にはカブール博物館として、又その後国防省として使うために再建された。

1978年の共産主義者のクーデターの際、当時国防省があったこの宮殿は焼かれた。Darul Aman の破壊は2日間続いたSaur革命の終結の印となった。しかし、1990年代の初めにライバルであるムジャヒディン各派がカブールのコントロールをめぐってお互いに戦った際に、この建物は再び破壊された。ソビエトの侵攻が終了した後のムジャヒディンによる激しい砲撃で、この素晴らしい建物は骨格を残すのみとなった。

Tajibaikも過去の素晴らしさを取り戻すために修復と再建を必要としている建物のひとつである。Darul Aman の南西側に位置しているこの宮殿も、1924年に建築され現在ひどい状態にある。3番目のそのような宮殿はChilsitoonで、その建築は1930年代にさかのぼる。

著名な歴史家でアフガニスタン科学アカデミーの顧問であるHabibullah Rafiは、Chilsitoonは国王のゲストハウスとして使用され、いっぽうDarul Aman は王室の公式住居であったと語った。Tajibaik宮殿は80年ほど前には軍が使用していたと彼は語った。

Chilsitoon宮殿の残骸に立つ高い緑の木の下で火の光を浴びながら、93歳のHaji Tamimは、かつてこの崩れ落ちた建物で出迎えを受け歓迎された著名人や外国の要人たちを思い起こした。

「なぜこの歴史的遺産に政府が注意を払わないのかわからない。」とこの古い建物の近くの泥でできた家に住むこの老人は問いかけた。

これらの建物はアフガニスタン人の誇りであり歴史遺産であるとAbdul Wahab60歳は語った。彼も政府が他のプロジェクトには多額の資金を使っているのに、これらの建物の再建をしないことで政府を嫌悪した。

財務省によれば、国中で過去5年間に170億ドル近くが再建プロジェクトに使われた。しかし政府には優先リストがあって、これらの宮殿の再建に取り掛かる前にやらなければならないプロジェクトがまだ多く残っている。

財務省のプレス情報担当Muhammad Dawood Nazimは、政府の優先リストには学校、病院、道路その他の国民を楽にするインフラの建設と再建が含まれていると語った。Chilstoon宮殿の境界を囲む壁が日本政府から提供された20万ドルの資金で建設中であると彼は語った。

国防省のスポークスマンZahir Azimi将軍は、Darul AmanとTajibaikの宮殿の再建は重要であると語り、将来再建されるであろうと語った。