クーチス族(アフガニスタンの遊牧民族)

遊牧民族であるクーチス族は、潜在的にアフガニスタンで傷つきやすい集団の最大のものである。何世紀もの間、半年ごとに羊、ヤギ、ロバ、そしてラクダの群れを引連れて移住してくる彼らは、地元のコミュニティに毛皮、肉、そして羊毛をもたらす重要な役割を果たしてきた。アフガニスタンの国土の80%以上が、まばらな放牧にしか向かない土地であり、そのためこの種の季節的な移住は理想的なものであった。しかし、ソ連との戦い、何年も続いた外国に押し付けられた戦争、干ばつ、そして民族間の緊張により、クーチス族の人口も彼らの家畜の群れの規模も劇的に落ち込んだ。

クーチス族はかつて西部で銀やラピスの宝石で身を飾った、容姿端麗でロマンチックな遊牧民族として称賛された。伝統的に、彼らは動物、羊毛、肉、そして乳製品を、食料品やその他の物を手に入れるために村人たちに売ったり交換したりして生計を立ててきた。クーチス族は放牧地から放牧地へと移動することで、地元の村人に課せられる家畜の規模に関する制限を免れてきた。

タリバン崩壊後、ほとんどのアフガニスタン人にとって生活はより良くなった。しかし、これはクーチス族にはあてはまらなかった。1960年代、70年代、そして80年代初期から、クチ族の人口は40%減少し、彼らの多くが難民キャンプや流民キャンプに住んでいる。その理由は多様である。クーチス族の伝統が消滅してしまったのは、打ち続く戦争、道路の破壊、干ばつ、空襲、ソ連の爆撃、そしてその他の戦争に関係した原因などの結果である。これらの問題は、1998年から2002年までの干ばつによってクチ族の家畜の群れが75%失われたという事実のために、さらに悪化した。放牧地はいまだに十分回復していない。加えて、地雷やその他の不発弾によって、放牧に使える面積が限られてしまった。戦争によって、多くのクチ族はアフガニスタン中央部の夏の放牧地からも逃げることを余儀なくされた。戻ってみると、その地域の住民が放牧地の多くを農地に変えてしまっていた。

その結果、クーチス族のなかには遊牧民の生活スタイルをあきらめ、都市の郊外に住んで労働者として働くものもあらわれた。彼らの多くは自分たちの伝統的な役割に戻りたいと望んでいるが、おおかたの援助機関はクーチス族がその家畜の群れを再建するために必要とする長期的な支援より、短期的な経済援助や人道支援に専念している。