バクトリアの黄金

 ヘレニズム期はギリシアにとって最高の勝利の時代であった。この時期に、ギリシアの文化、権力、支配は当時知られていた全世界に及んだ。ギリシア文化はすでに直前の古典期にその絶頂に達していた。ヘレニズム期にはギリシアはその文化を活発に輸出し、その後それらの地域から生まれてくる文明、即ち、ローマ文明、ユダヤ・ダイアスポラ文明、イスラム文明、そしてキリスト教文明に消えることの無い刻印を残した。

 アレキサンダー大王の征服と、その父であるマケドニアのフィリップ王の征服は、この全世界のヘレニズム化の枠組みを作り上げた。父がギリシアの都市国家群を統一した後、アレキサンダーは小アジア征服を開始した。ペルシアとエジプトを短期間で打ち破った後、はるかパキスタン、そしてインドにまで、進出した。彼はバクトリアを征服し、そこでギリシア世界はインダス世界及びシベリア草原世界と出会い、絡み合うことになった。土地も人々も厳しい敵であり、簡単には平和を回復することはできなかった。アレキサンダーはバクトリアの皇女ロクサンと結婚し、バクトリアの巨大な軍隊を手に入れ、13,000人余のギリシア人をこの地に残し、住まわせて支配させた。

 アレキサンダーは彼の王国をさらに広げようとしたが、自身の軍団から反対され、紀元前 324 年に自分の王国に戻り、翌年死去した。彼の帝国は部下の将軍達によって分割され、そして彼らは互いに争うようになっていった。

 小アジアはこのヘレニズム期に何世紀にもわたってギリシアの影響下におかれた。 アレキサンダーの将軍達が始めた各王朝の間の紛争は、絶えることがなかったが、生活水準は著しく上昇した。新しい帝国はそれぞれに公共事業を始め、美術、哲学、科学、そして文学に対する援助を繰り広げた。バクトリアはイラン、中国、ギリシア、そしてインドの文化のモザイクとなり、東の世界と西の世界をつなぐ環となり交易のルートになった。ギリシア人はアレキサンダーの死後約一世紀の間、バクトリアが中国とシベリア草原からやってきた遊牧民族に征服されるまでその地で栄えた。

1978 年から 1979 年にかけての冬に、ソビエトとアフガニスタンの合同考古学発掘調査により、
20, 600点の黄金宝飾品、葬祭具、その他の工芸品が発掘された。これらは「バクトリアの黄金」としてしられるようになった。これらの財宝は地元のアフガニスタン人にテラタパ即ち「黄金の塚」として知られる、アフガニスタン北部のヒンドゥクシュ脈の麓から現在はアム川と呼ばれている古代オクスス川まで広がるほこりまみれの平原にある場所から発掘された。現代の都市シベルガ-ンがらそう遠くないこの埋葬の塚はおそらく紀元 1 世紀のクシャン王国の支配層に属する一族の墓地であったと思われる。

 「バクトリアの黄金」はアレキサンダー大王が死去した前後の時代の多種多様な貨幣やその他の品々からなる。発掘されたものには、中国の鏡、パルティア、ローマ、インドの貨幣がある。そしてギリシア・バクトリア美術の作品、ギリシアとバクトリア両方の影響を表した遊牧民族風の作品も発掘されている。

 しかし、これらの貴重な財宝は失われてしまったと思われていた。内戦の期間そしてタリバンの統治の間、「黄金財宝」の在り処は一握りの博物館の館員と銀行の職員によって秘密にされ、アルグ、つまり大統領宮殿内の中央銀行金庫室の地下3階にしまわれていた。

 タリバンが1996年にカブールの支配を手中にすると、彼らはまずアルグの金庫室を調べたが「黄金財宝」を発見することはできなかった。しかし「黄金財宝」の在り処を知っている人々は、タリバンが非イスラム美術の組織的な破壊を始めると、心配し始めた。「恐怖に対する戦争」は「黄金財宝」を救うのにちょうど間に合ったと言える。

最近になって、アフガニスタンと外国の博物館の館員によって、この20年以上の間で初めて金庫室のなかにあった6個の金庫が開けられ、カブール博物館のために「黄金財宝」のコンピューター化された収蔵品目録の作成が開始された。米国地理学協会ショナル  ジオグラフィック ソサエティ がすべての作品を分類し写真をとるための最高性能の装置を提供した。20,600点にのぼる黄金の財宝すべてが、そのうちのあるものは指の爪ほどの大きさしかないが、一つ残らずソビエトとアフガニスタンの考古学者と1979年に荷造りした博物館の館員達が残したそのままの形で発見された。

 財宝には、墓の中から発見された5人の女性と1人の男性の埋葬衣装を飾る数千の小さな銀の縫い付け装身具と、黄金の髪飾り、豪華な細工のペンダント、短剣と剣の柄と宝石をちりばめた動物が彫られた鞘もふくまれている。さらに、ベルト、バックル、印鑑指輪、金と真珠で作られた飾り物の木、そして金のサンダルも含まれている。

 「黄金財宝」の目録を作り再び収蔵した後で、アフガニスタン情報文化省大臣のマクダム ラヒーンは、「黄金財宝」を世界中で展示して、それらを収蔵する新しい博物館のためと、財政乏しい情報文化省のために資金を集めたいと話した。