ムガール王朝の創始者である、偉大なる征服者Zahiruddin Muhammad Babur(バブール)は、カブールと庭園を非常に愛し、その二つを一つにした。

バブールは支配者、征服者の家系に生まれた。父方の祖先はチムールであり、母方の祖先はジンギスカーンであった。1504年に、22歳で彼はカブールを征服した。バブールはしばしば庭園で時を過ごし、Bagh-e Babur(バーゲ バブール)を軍事遠征の出発式や、戦勝祝い、謁見、刑罰の執行、詩の朗読、そして客のもてなしなどに使いさえした。

バブールにはカブールを愛する理由がたくさんあった。インドから支配している時でさえも、カブールとその庭園への思いはいつも彼と共にあった。カブールはバブールが手に入れて保持した最初の大都市であった。その気候と美しさは彼をおおいに魅了した。彼の墓石の碑文はカブールについてこう言う。「この大地に天国が存在するとすれば、それはここである、それはここである、それはここである。」

バーゲ バブールはSher Darwaza丘陵の斜面に建設された。天国のイメージを思い起こさせる水が、Chardehi平野の上を流れるように引き入れられた。庭園には、花や果樹そして後には噴水や様々な用途の建物が含まれていた。

とくにこの庭園の壮大さと美しさのために、バブールはそこに埋葬されることを求めた。Charles Atkinsonもここに展示されている彼の彩色版画にそれを捕らえた。

1842年にAtkinsonが訪れたときまでに、庭園の一部はすでに荒廃してしまっていた。もうひとりのCharles、Charles Masonは墓が破壊されていると記している。1842年の地震によって破壊はさらに悪化した。その後、他の人々がこの場所にそれぞれの手を加え始め、元の姿からさらに形を変えていった。1992年に戦争が始まった時、多くが形を変えていたり、時間の経過で壊れていたり、又は破壊されてしまった。

2002年3月、Aga Khan Trust for Culture (AKTC)がバーゲ バブールの再建プログラムのための覚書に署名した。このプログラムの目標は庭園も、その周辺の景観や建物も復元することにある。庭園の再建期間中も、一般公開を継続する。

バーゲ バブールは11ヘクタールを超す囲われた場所である。内部には、墓、大理石のモスク、そして「女王の宮殿」など、この公園の異なった時代からのものがある。

「女王の宮殿」(写真)は1890年代に建築された当時、この庭園内の最初の常時居住するための建物だった。長年にわたり、それは多くの目的に使用されたが、1992年には戦争によって建物のほとんどが破壊されてしまった。再建は1996年に開始され、その結果は素晴らしいものだった。復元のために新しい技術が使われたが、庭園全体と同様に、「宮殿」も復元によって当初の輝きを取り戻させ、利用できる部材は組み込むことが目標であった。庭園内の他の建物についても同様な努力がはらわれた。

すでに現時点においても見るべき光景であるが、この庭園は完成時には感激すべきものとなるだろう。ふもとのChardehi川のところにある下の入口から、訪れた人は庭園がアーチ状の門やShahjahani通路を経て高くなっていくのを目にするだろう。丘陵に沿って20メートル以上高くあがり、テラス状になった庭園はすでに生き返っている。各テラスはそれ自身が、池や噴水に水を供給する中心の水路沿いに作られた小さな庭園になっている。これらの庭園には様々な高木や低木が植えられ、バブールの時代の庭園を思い起こさせる。